亡き恩師の【健康長寿の秘訣】のヒント
こんにちは!村田です。
大学の恩師が亡くなられました。
享年91歳でした。
晩年も自転車に乗って
お元気だったとのこと。
突然の訃報に驚きました。
堀誠 先生です。
当時、わたしは遺伝子の不思議に興味をもち、
人気だった堀先生の生化学研究室を
希望しました。
思い起こせば、この研究室で過ごした日々が
学生生活でダントツに楽しかった一年でした。
実験は夜まで続くことも多く、
そんな時には大学の小さなキッチンで
みんなでワイワイ、夕食をつくったり
馬鹿話をして笑い合える充実した時間でした。
なかなか思うような実験結果が出なくて
クリスマスイブにも夜まで残って
楽しそうに帰る友達を尻目に
寂しいなーなんて思った時もあったかな(笑)
堀先生は、
朝は早いけれど、夕方には帰宅されます。
賑やかな研究室で、
温かく見守ってくださいました。
授業ではピリッと威厳のある
マイペースな先生でした。
氷河期に入り始めた就職活動、
製薬企業で開発職を希望したわたしは
胃が痛くなるほど面接を受けましたが
不採用通知が続いていました。
なんとか、希望する会社に採用が決まったとき
教授推薦枠でも不採用だった企業から
再度「採用したい」という電話が
堀先生にきたそうです。
「彼女は良いところへ決まりました」と
担当者に言ってやりましたよ、
と言われて驚いたことを思い出します。
2019年3月3日に
堀先生のご自宅を訪問していました。
お雛様が飾ってありましたね。
コロナ前、研究室の先輩方から、
「堀先生を囲む会を開きたいよねー」
という話しがあり、
堀先生に連絡したら
「あなた一人で家にいらっしゃい」と
謎のお誘いがあっての訪問。
最初で最後の、ご自宅訪問でした。
「あの時の訪問はいつだったの?」
と、当時、助教授だった先生に聞かれ
そうえいば、Facebookに投稿していたかも、、
と遡って記事をみてみたら
その時のことを思い出しました。
東京大学から微生物化学研究所を経て
大学職員へ引き抜かれた経緯。
今は亡き奥さまとアメリカ滞在中、
車で大旅行された想い出などなど…
ちなみに、堀先生にまつわる有名な話で
こんなエピソードがありました。
「運転では、絶対にきっちり法定速度を守る」
片側が一車線のときは
停車して追い越ししてもらうこともないので、
どんなに後続車が列をなして
前が空いていても、おかまいなし。
先生の車の助手席に座っていると
速度計を見ながら、アクセルを微調整され
エンジンが「ボー、ボー、」と
小刻みに鳴る音が聞こえてきました。
堀先生、ほんとマイペースだよね、
という笑い話は定番でした。
大学の授業では、英語の文献を読むために
主語や述語に赤線をひいて
分解して読む方法を教えてくださいました。
ご自宅に伺った時にも
「英字新聞を毎日読んで赤線を引いています」
と見せてくださり、教えてくださったことを
今も実践されていたのですー!
「あなたも読んでみたら?」と
英字新聞と、テーブルに置いてあった
セブンイレブンの小さな水羊羹をひとつ
お土産にくださいました。
「毎週水曜日には、近くにあるテニスクラブで
90分もレクチャーを受けて通っています」
ということも聞き、驚きでした。
その当時、先生は80代後半でしたから。
「わたしも後期高齢者ですよ」
なんておっしゃっていました。
堀先生を囲んで、
研究室のみんなで集まりたいとお願いしたら
「わたしは、もう賑やかなのは結構ですよ。
あなたがきてくれただけで十分です。」
と言われて、交渉は失敗に終わりました。
その後、先輩方と密談して、
なんとか堀先生と会いたいよねーと
「ホリーズ」グループを結成しましたが
その後、コロナになってしまいました。
見た目はクール。
ユーモアあふれる先生でした。
自分のペースを崩さず
定期的な運動は欠かさない、
嫌なことは無理せず断る、、
このスタンスが
健康で長生きの秘訣かもしれませんね。
次はいつお会い出来るか
楽しみにしていたのに、とても残念です。
生化学研究室での思い出は
医療従事者としてのわたしの原点です。
堀先生、本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
P.S.)
『7つの習慣』の著書の中に
「人生の終わりから考える」
というフレーズがあります。
あなたは、自分の人生が終わった時
周りの人から何と言われたいですか?
ちなみにわたしは
「不器用だけど一生懸命に人生を楽しんで
医療を変えていこうとしてきた人だよねー」
ですかね、、
最後まで、読んでくださり
ありがとうございました!