親子の許しを考える「心の再生」ものがたり
こんにちは!
村田です。
人は誰でも、大なり小なり
「自分は不幸な境遇に生まれてきた…」
と思うことがあるのではないでしょうか。
そんなことが頭に浮かびながら、
じんわり感動してしまった小説を
ご紹介したいと思います。
わたしは、本をよく買う方だと思うのですが
ほとんどが実用書か専門書。
ここ10年ほどは
小説を自分で買って読んだことは
ありませんでした。
去年のクリスマス、
夫からプレゼントされたこの小説も
じっくり落ち着いて読もうと思う
気持ちがおこらず、
最近になってふと思い出して
手に取ってみました。
タイトルは「よくがんばりました」
本の帯には
「決して交わることのなかった父と息子に訪れる奇跡」
と書いてあります。
親子の感動物語なのかなーと思いつつ
読み始めてみたら、とても読みやすく、
先が気になることもあって
するする1時間ほどで読めてしまいました。
小説の舞台は、横浜と愛媛県西条市。
横浜は私が住んでいるところであり、
西条は夫の母方の実家です。
何度も足を運んだことのある
ゆかりの地になります。
多くの地方都市がそうであると思うのですが
昔の商店街は活気をなくし、
それでもそこに生きづく人がいる。
フィクションなのに、つい去年の出来事が
リアルに描かれているストーリーでした。
物語の冒頭を少しご紹介します。
横浜で中学校の教師をしている主人公の嘉人は
西条で生まれ育ったのですが、
両親の事情で子どもの頃に家出同然で
母親と東京に移り住みます。
父親との関係は、
中学まで住んでいた西条の
貧しかった生活以降、途絶えます。
40年近く経ち、
偶然の出会いが重なって、
生まれ育った家に帰ることに。
そこには、人生を終えた父親が生きた形跡、
父親に関わっていた人から伝え聞く話と
かすかな子どもの頃の思い出が混じり合い、
点が線につながっていきます。
当時の思い出と、その時の親の年齢を超えた
自分を照らし合わせて、
改めて感じる発見や主人公の気持ちの変化が
自分と重ね合わさりました。
私自身、中学生の頃、
親によく言われていたことを思い出しました。
「この歳になってみないと、
子どもは親の気持ちがわからない」
それはそうだろうけど、
そう言われても無理だよね…
と、素直にそう思えなかったような
気がします。
親は自分の理想であってほしいけれど
親は親で、一生懸命生きて、
迷いながら育ててくれた。
時代を経てもすべての親子に
共通することかもしれません。
私自身、いい親でありたいと思い、
いい親ってなんだろうと考え、
懸命にやってきたつもりだけれど、
子どもにとっては
いい親とはいえないことが
いくつもあると感じています。
この物語に登場する親子は、
よくある親子の形とはいえないかも
しれないけれど、
価値観の違いやすれ違いが、
寂しさ、諦め、そして自立
というステップにつながって、
それぞれ必死に生きている。
完璧とはいえない相手も自分も
まるごと受け入れて愛する過程が、
人の成長につながるのかもしれません。
印象深い、こんな場面がありました。
嘉人が教師として5年ほど経ち、
自信がついてきた頃の話です。
ある生徒が、
宿題をカンニングしていることに気づき
嘘をつくことを正そうと思って
生徒を指導していた時のことです。
その様子をみた校長先生が、
「『明』という漢字の成り立ちを
ご存知ですか?」と嘉人に問いかけます。
日と月だから、両方あわせて
明るいという意味なのかと思ったら、
元々“朙”という字だったと
校長先生は説明します。
左側は”窓”を表していて、
窓に月明かりが差し込んでいる
様子を表すそうです。
窓から差し込む月明かりの中で人を見ると、
強い光を当てられて見られるよりも
何ともいえない美しさがありませんか?
強い光をあてて
子どものアラを晒すのではなく、
月明かりの下で見るように
その子の美しさを全体として捉えること。
そう思えると、先生という職業が
好きになれたよ、という言葉でした。
相手のダメな部分に強い光をあてて
直してやろうという思いよりも、
人として美しい部分にフォーカスして
全体像をぼんやりと捉える。
月明かりのように、
周りを美しくやんわりと照らす人生が
自分の役割と思えたら素敵ですね。
年に一度、西条祭りがあるそうですが
その迫力は段違いに素晴らしいと
聞いていました。
実際に見たことはなかった私ですが
その祭りの迫力も伝わってくる物語でした。
今は亡き、
西条の叔父さん、叔母さんの方言も
懐かしく思い出されました。
「不器用だけど、よくがんばりました」
と思える人生を望む人には、
読んでいただきたいと思う一冊です。
P.S.)
子どもの頃の親子関係が
大人になってもモヤモヤ続き、
健康にも影響してくる人もいます。
親も自分も
そうなるにはそうなる理由があったのだと
違う視点で眺めてみるヒントが
散りばめられたストーリーな気がします。
漢方は、
そんな気持ちを整えるための
やさしい手になるのかな、と思っています。